三十にして、

「三十にして立つ」ー。といっても私のことではない。成田空港開港から今日で30年。「一人前」と呼ばれてもいいはずのところが、今朝の朝日新聞には「羽田国際化へ積極方針」の見出しが躍る。成田空港のニュースと言えば、「成田闘争」だった時代もあるが、闘争の話題は今や滑走路の整備もままならない成田空港という話の中でわずかに触れられるだけとなった。過去の不幸な出発点を知りながらあえて言うが、成田は圧倒的に不便である。

先日、鉄道専門家のたぬき氏と食事した際、「成田まで新幹線でもリニアでも通せばいいのに」と素人意見を言ったら、同氏は「実は成田新幹線の計画はあったんですよ」と教えてくれた。ネットを調べると、成田新幹線の幻の「沿線」を辿った力作ルポまであった。結局、新幹線はできなかったが、2010年には日暮里ー成田空港を36分で結ぶ新高速鉄道が完成する。しかし、成田空港の問題点は、首都圏(特に都内)からのアクセスの悪さだけでなく、滑走路が整備できないため発着枠数が少ないという能力的な要素もある。

こうした問題点や国際空港としての競争力不足の解消という観点から浮上したのが安倍政権の「アジア・ゲートウェイ構想」でも挙げられた、羽田の更なる国際化であるが、千葉県や国交省の一部などの反対も根強い。海外に行くためには必ず成田空港を使わざるを得ない首都圏の住民にとっては、「不便だ」「疲れる」という気分的な、精神論的な部分で片付けられるかもしれないが、海外からやってくる「お客」から見れば、日本をスルーする大きな要因になる。

今後どうしたらいいのか。すっぱりと解決策を決断するしかないのだが、日本は情緒的政治の国であったし、「無謬性」を志向する官僚制度は、一度決めた政策を変更するのが困難な体制だった。しかし、各政党には次の総選挙では航空政策について「マニフェスト」を明示してもらいたいところだ。政権交代がちらつく選挙になるはずで、ダイナミックな政策は注目されやすい。とはいえ、週刊誌の広告に載っているのは「9月道路解散」などという文字。