新おしゃべり体

風が異様に強い日の午後、「天声人語」の筆者だった辰濃和男氏の文章入門本「文章のみがき方」をベッドに寝ころんで読み返してみた。

ところで、天声人語と言えば、国語の勉強で要約を進める人があるけれど、あれは良くない。「内容が変」とか、そういう問題ではなくて、エッセイという形式上、文章が論理的な一貫性を持って組み立てられていないので、要約には向かないからです。むしろ社説のように主張が明確な文章の方が要約の練習には向いています(主張の良し悪しは別)。

さて、本題。

坂口安吾を源流とする「新おしゃべり体」の魅力について書いた章(「文末に気を配る」)が面白かった。なんで「新」が付いているのか分からないけれど、要するに口語体をさらにくだけさせたものという理解でいいでしょう。最近の新書に多い「聞き書き」スタイルにも近い。書き手(話し手)特有の言い回しがにじみ出るところに、親しみやすさ、面白さが出るんだろう。

一例として、伊丹十三の文章を引用している。

ここにスケッチしたのがそのバッグでありましてこれはアメリカ陸軍の野戦用のズックのバッグ、というか、袋であります。飴屋横町で五百円ぐらいだったかな、安い上に、これはまず絶対に壊れない。

です・ます」調で書くか、「である・だ」調で書くかで迷うことがあるけれど、「新おしゃべり体」は、その二つの混ざり合ったスタイルをも超えた自由なスタイルです。私も色々な文体を試したいなとは思うものの、この伊丹氏みたいな軽やかな文章は簡単そうで、なかなか難しい。

辰濃氏は、パソコンやケータイから生まれる若者の文章に「新・新おしゃべり体」の可能性を期待しつつ章を終えています。辰濃氏の指摘は、古くは「チョベリバ」とか、最近の「KY」のような刹那的な流行言葉ではなくて、文章自体のスタイルのことを指しているんだと思います。

いろんな人のブログを眺めていると、本当に多種多様の文章、文体が並んでいる。日本語の劣化とみるか、進化とみるか。それは人それぞれでしょうが、名文家で知られる辰濃氏は後者と見ているようです。本書でも、よしもとばななとか、江國香織とかの文章が登場する。もう朝日を定年退職されていると思いますが、その歳で豊かな感受性を保っているのはすごい。私なんか、綿矢りさの文章を正視できないけど(笑)。本書の指摘は見習うところが多い。

文章のみがき方 (岩波新書)

文章のみがき方 (岩波新書)